아내

「世界ウルルン滞在紀」を見てます。毎週世界中に滞在するのですが、
翻訳をみて、思うことがあります。
開発途上国や、原野に住む原住民の話す言葉はすこしぞんざいな
表現をしているんです。
現地の言語がわからないので、翻訳に頼るしかないんだけれど、
本当に現地の人は、そんな言葉遣いで話しているのだろうか、と
疑問をもつことがあります。
現地にホームステイする日本人の俳優やタレントに、「お前」などと
呼んでいるけど、ほんとうにそんな風に話しているのかなと思います。

「わたし、日本語、しらない、あるよ」と聞くと、
もしかしたら、日本語を習いたての中国の人を
イメージする人がいるかもしれません。
(いまは、日本語をちゃんと習うから、そのような
ことはないと思いますが。)

「わしは、博士じゃ」というようなしゃべりは鉄腕
アトムの御茶ノ水博士を思い出させます。(自分のことを
博士ですという博士も珍しいが。)

なぜでしょうか。
その疑問に答えたのが次の本です。

ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)

ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)

お茶の間で長らく人気のあったドラマ「刑事コロンボ」の
の台本を翻訳された額田やえ子さんの本があります。

額田さんは、そのドラマの主人公やジャンルによって
同じ単語でも訳し方を変えていたんですね。

たとえば、刑事コロンボでは、妻のことを「うちのカミさん」
刑事コジャックでは、「うちのワイフ」

殺人現場の死体を、コロンボは「仏さん」、コジャックは「ガイシャ(被害者の略)」
といっています。

ちなみに、刑事コロンボの第1回の翻訳は額田さんではないので、翻訳では
うちの妻といっています。

特にコロンボでは、声優の小池朝男さんが言うとしたら、なんというかを
想像して翻訳した、という凝ったもの。そんな字幕翻訳のエピソードが
たくさん載っているほんです。

途上国だからといって、粗野な言葉遣いで訳すのと質が違いますね。